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●2008/12/29 Mon 久しぶりに書いてみます

2001年に戦うオヤジの応援団を立ち上げて丸7年が経過しました。最初は柏市だけで集まっていたものが、今では柏に加えて、仙台、新潟、埼玉、東京(2ヶ所)、静岡(2ヶ所)、愛知、大阪、京都、奈良、香川と増え、来年には岐阜にもSPが誕生しますので、全国で14か所に集まれる場所ができることになります。

どのSPも、世話役の皆さんの努力のおかげで、それぞれ地域の特徴を生かしたとても素敵な場所に育っていますので、事務局としての方針などを無責任に書くことは控えていたのですが、よく考えてみますと、全国にSPが増えているからこそ、「戦うオヤジの応援団」としてのアイデンティティを確認するためにも、もっと事務局として発言すべきなのかもしれないと思い始めています。

今年も今日を含めてあと3日。明日(30日)も事務所に来て、メンバーの新年の挨拶用の掲示板や、新年用のトップページを作成し、1月1日の午前0時に自動的に更新されるように設定しておく予定です。今回は、音声で事務局からの新年のご挨拶が聞けるようにする予定です。少し気恥ずかしいのですが、ぜひ聞いてみてください。


●2008/10/10 Fri 優良資産としてのギターの価値

現在、金融恐慌といわれるほどの深刻な株価の下落が続いていますが、ここで、ギター(特にヴィンテージギター)の持つ価値について書いておきたいと思います。

まず、ギターの資産としての分類ですが、「金(きん)」と同じように現物資産に分類されます。
つまり、株のように激しい価格変動がなく、今回のような金融危機のときでも安定した価値をもつ優良資産として、アメリカの投資雑誌などでも高く評価されています(それが原因でアメリカでのギターの高騰が始まったのですが)。また、金は産出量が増えたり、需要が減少することによって値段が下がる場合もありますが、ヴィンテージギターの数は減ることがあっても増えることはありませんので、急激な値上がりはないものの、金以上に安定した価値を持つものです。

資産を「増やす」という投資的な目的からするとギターは値動きが遅いため効率は高くないのですが、今回の金融危機をきっかけに、今後は資産を「守る」という意識が一層強まるものと思われますので、絵画や骨とう品と同様に、ヴィンテージギターにもこれまで以上の注目が集まるものと思われます。

そういう意味では、資金に余裕のある本当の資産家が所有ギターを処分する可能性は低いものの、高価なギターを何本か持っている皆さんの中には、これまで給与水準が高かった金融業界で働いて「小金持ち」になっていた皆さんも多いと聞きます。そんな皆さんは、今回の金融危機で会社の業績が悪化し、ボーナスの大幅カットなどのために、所有しているギターを現金化する必要がある皆さんも出てくると思われます。

少し生活資金に余裕がある皆さんは、ヴィンテージギターが適当な値段で市場に出てきた場合は、現物資産としてのギターの価値にこれまで以上に注目しても良いのではないかと考えています。ただし、ギターは金のように大きな市場はありませんので、現金化に時間がかかります。急なときに必要となるお金でギターを買うことは避けてください。

また、ギターは壊れますし、燃えます。資産として高価なギターを保有する場合、保管には「カールトンケース」のように火事にも地震にも耐えるケースで保管しておくことをお勧めします。日本で買うと15万円以上するケースですが、資産保全のためにはその程度の対策はとっておいても良いのではないでしょうか。

ちなみに、私はGibsonの1924年のロイドロア期のマンドリン(残念ながらF5ではなく、F4ですが…)には、カールトンケースを使用しています。


2008/10/10 Fri 「ギター共済制度」について

数年前より一部のメンバーから要望がございました、「ギターの共済制度」について、ようやく実施できる目処がつき、NPO法人正会員の皆さんには、制度のご紹介とともに、手続き方法についての文章をお送りいたしました。以下の内容をお読みいただき、まだ正会員となっていない皆さんで、制度の必要性を感じておられる皆さんは、ぜひ、年会費(3000円)を納める正会員の登録をよろしくお願いいたします。

    【正会員登録希望は⇒こちら(http://tatakauoyaji.com/member/npo/seikaiin.html)から】

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この制度は、家族の皆さんにギターの本当の値段を言わずに、高額なギターを所有しているような皆さんにもしもの事態が起こった時、家族の方がギターを二束三文の値段で処分してしまい(傷だらけのヴィンテージは、ゴミに出されかねません)大切な財産を失ってしまうことのないように、家族の皆さんに代わって、協賛いただいているギターショップを通じて、適正な市場価格で現金化するお手伝いをさせていただけるようにするものです。

ご利用方法は、事務局からお送りする共済制度の手続き方法を記載した文章を各自で印刷いただき、正会員の皆さんにもしものことが起こった場合に家族の方が必ず見ると思われる、生命保険証書などが入っているフォルダーに入れておくか、ギターケースや机の引き出しの中などに入れておいていただくだけです。

お送りする文書には、ギターの価格などは書いておらず(書いていると、必要になる前に家庭で問題になりかねませんので)、委託販売の手続きを応援団事務局がお手伝いする手順を説明しているだけの単純なものなのですが、この書類があることによって、もしもの場合に財産が無駄になる可能性が少しでも低くなるかも知れません。

なお、既にご家族にギターの価格を知らせた上で、もしもの時にギターを持ち込むショップなどを教えているような場合には、このような制度を利用する必要はありません。対応するしないは皆さんの人生観と家庭の状況に基づいて任意に判断する事柄ですので、お気軽にお考えいただければ幸いです。
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というものです。

事務所の近くにある、応援団に協賛いただいているギターショップにはご協力いただけるということで話がついており、戦うオヤジの応援団が存在する限り、もしもの時には、できる限りの支援をさせていただきます。

(9/17の記載は類似内容ですので削除いたしました)


●2008/09/01 Mon ささいな防災対策

今日は防災の日。応援団事務所でも地震に備えて、これまで机の上に立てて置いていたパソコン本体を机の下に降ろしました。ほんのささいなことなのですが、震度4〜5の地震が起こってパソコン本体が机から落下してハードディスクが壊れた場合、戦うオヤジの応援団の継続が難しくなってしまうので、危険回避のための対策です。

もちろん、メンバーのデータベースは定期的にメモリーにバックアップはとっているのですが、パソコン自体が壊れてしまうと、しばらくは動きがとれなくなってしまいますので、防災の日いうことで、思いつきで行った次第です。

ちなみに、事務所にあるギターは、いつもハードケースに入っていますので大丈夫です。


●2008/08/14 Thu 「フォーク」について考えてみました

「フォーク」って何だろう?以前から、よくわからない言葉として考えていたのですが、何となく、私なりの考えが整理できつつあるように思います。

まず、「フォークソング」。これは、60年代後半から70年代にかけてメディアで流行した一部の音楽を指しています。NHKでさえ「青春のフォーク」という表現をするように、一般的には、その当時、歌謡曲や演歌に加えて、アコースティックな感じのする楽器を使い、自作自演を基本とする、当時の若者によって演奏された音楽を指すもののようです。従って、ジャズやブルースのように明確な音楽ジャンルを持たない、何でもアリの音楽だったように思います。

一方で、「社会現象としてのフォーク」について考えるとどうなるでしょうか。folk songのfolkは形容詞で【大衆の、民衆の】という意味ですが、「大衆のための歌」と言ってしまうと、ブルースでも演歌でも民謡でも全てフォークソングになってしまいますので、「〜のための」という表現は相応しくないようです。

では、フォークソングが流行っていた頃の演奏形態の特徴を考えてみるとどうでしょうか。我々が何をしていたかを思い出してみると、「アマチュアがギターを手にして皆で一緒に楽しんでいた演奏形態」という特徴が浮かんできます。とすれば「〜が一緒になって楽しむ」という表現を使って、「大衆が一緒になって楽しむ歌」と考えると、少しフォークソングの実態に近づいてくるように思います。

一時、“俺はテレビには出ない!”というプロのフォークシンガーがいましたが、今思うと、その姿勢はフォークシンガーがフォークシンガーでいるための大変重要な要素だったように思います。マスコミにもてはやされ、「音楽ビジネスとしてのフォークソング」の世界で活躍すればするほど、「社会現象としてのフォーク」に参加できない存在になってしまうという、音楽業界の皮肉な構造を認識していたのかも知れません。

ジャンルに関係なく、同じ大衆として自由に演奏を楽むという姿勢が「フォークする」という場合に重要な要素だとすると、私たち、戦うオヤジの応援団は「社会現象としてのフォーク」を取り戻す活動をしていると言っても良いかと思います。

今は全国のアマチュアミュージシャンが、それぞれの地域で一緒になって自由に音楽を楽しむための基盤を作る活動を行っていますが、本当に「社会現象としてのフォーク」を目指す場合、我々が若い頃に、フォークソングと言われる楽曲を提供してくれたプロの皆さんにも、同じ時代を生きる大衆の一員として、活動に加わってもらうことがあっても良いように思っています。そして、そうすることによって、プロの皆さんも、本来の意味での「フォークシンガー」に戻ることができるように思うのです。

※そういう意味では、中川五郎さんという人は、ライブスケジュールを見ても徒然というエッセイを読んでも、大衆であることにこだわり続ける「フォークシンガー」だなと思わせるミュージシャンです。


●2008/08/10 Sun 夏休みでも事務所はやっています

多くの皆さんは、そろそろ夏休みになるのでしょうか。
今年の夏休みはオリンピックもありますので、自宅で過ごすという皆さんも多いのでしょうね。

私は、今年も夏休みはありません。夏休みのない夏は、これで何年目になるのでしょうか…きっと5年以上にはなるかと思います。もっとも、企業組織のために終日真面目に働いている身分ではありませんので、夏休みでリフレッシュが必要なほど仕事に疲れてはいません。また、そんな立場だといつ切られるかわかりませんので、会社の連中に弱みを見せないようにするためにも、有給と夏休みは取りません。

ということで、事務所ではいつものように土曜を除く毎日、午後2時頃〜6時過ぎまで作業を行っていますので、お近くにいらした際、または長い休みで自宅にいづらくなった時など(笑)に、気軽にいらしてください。地下ですので意外と涼しく過ごしていただけるかと思います。


●2008/08/04 Mon 仙台にもSPが出来ました。

7月の最終日曜日(27日)、仙台SPの第1回ミーティングに参加してきました。

午後2時開始ということで、上野発11時過ぎの新幹線に乗ったのですが、12時半頃には仙台についてしまいました。昼食にカレーかそばでも軽く食べるか、と思って仙台駅内を歩いていると「牛タン通り」という看板が目に入り、意に反して、名物の牛タン(塩焼き)定食を食べてしまいました。昼食にしてはちょっと高かったのですが、美味しかったです!

SPの会場は、仙台駅から徒歩10分位のところにある「ラブミー牧場」というお店。ビルの1階にあるのですが、入口から何やら不思議な雰囲気。中に入ると、山小屋というか、海賊船の中(入ったことはありませんが…)というか、天井から壁面まで地方のお土産や昔のイベントのポースターが雑然と置かれています。

最初は珍しさもあって、きょろきょろしてしまうのですが、しばらく経つと妙に居心地の良い、落ち着いた空間に変わってしまうのが不思議です。東北大学の学生がよく来る店ということですので、大学の古い寮のような雑然とした雰囲気があるのかも知れません。

お店に着くと、ご主人のnobunagaさんと世話役のsleepy-uenoさんがステージの準備をしてくれていました。その後、東京から大魔王夫婦、山形から黒田さん、盛岡市のチータンタンさん、石巻市のシーラさんとアルチュールさん、仙台のはるきんさん、takeponさん…と、10名以上のメンバーが集まってくれました。

ラブミー牧場では、毎月最終日曜日は午後6時からライブを行っており、ミーティング当日も、終了後にかなり盛り上がっていたようなのですが、私はライブ開始前には会場を後に仙台駅に向かった次第です。

仙台では、毎年9月に定禅寺ストリートジャスフェスティバルというイベント(フォークもOKだそうです)が行われており、今年も9月14日に行われるのですが、ラブミー牧場からも「ラブミーブラザーズ」としてメンバーが出演するとのことでした。

東北地方のメンバーの数はまだまだ少ないですし、青森や秋田からは東京から行く以上の時間がかかる場合もありますので、仙台にSPができても、イベントに参加することは簡単ではないかも知れません。

しかし、仙台SPという、応援団メンバーの皆さんが集まれる場所ができたことで、1年に1回でも足を運んでいただき、皆さんの音楽に対する情熱を感じてもらうとともに、メンバー同士のネットワークを作ることで、地元での音楽活動の活性化に欠かせないパワーを得られることは確実かと思います。

東北地方の皆さん、「継続は力」ですので、楽しい音楽文化の創造をめざして、じっくりと歩みを進めていきましょうね!nobunagaさん、sleepy-uenoさん、今後とも、よろしくお願いいたします。



●2008/06/17 Tue 新潟にもSPの誕生です!

6月15日、新潟県弥彦村で「新潟SP」の第1回ミーティングが開かれました。

弥彦は、上越新幹線で約1時間50分の燕三条で弥彦線に乗り換えて25分。乗り継ぎが良ければ、東京から2時間半の距離にあるのですが、弥彦線の電車が1時間に1本しかないため、燕三条で30分以上待つ場合があります。
弥彦村のパノラマ今回は、温泉があるということで、ミーティングの前日に行って一泊することにしました。

ところが、出発の朝に岩手・宮城地震が起こり、東北新幹線と秋田新幹線は運転中止。上越新幹線も線路点検のためにしばらく運転見合わせとなったのですが、幸いにも何とか予定通りに弥彦に到着することができました。

弥彦は左の写真中央下の山裾に広がる、人口8670人の小さな街です。行政上は西蒲原郡弥彦村なのですが、市町村合併で西蒲原郡の他の町村は既弥彦山から日本海の風景存の市に合併され、弥彦村だけが残ったようです。ちなみに、新潟県には11の郡があるのですが、どの郡も単独の町村で構成されています。

弥彦神社弥彦は、地元では古くから温泉と神社で有名なのですが、村営としては日本で唯一の弥彦競輪が村の財政を支えていると思われます。合併を断ったのも、きっと、そのあたりの事情があるのでしょうね。

神社から弥彦山にロープウェイで登ると、頂上からは日本海と佐渡ヶ島を望むことができ、右上の写真でも中央付近にうっすらと島影が写っているのですが、おわかりになりますでしょうか。
弥彦神社は万葉集にも歌われるほどの古い神社で、写真ではあまり写っていませんが、日曜日には団体の観光客が大勢参拝していました。
SP新潟の演奏風景
新潟SPは、弥彦駅から徒歩10分くらいのところにある、「ビッタゴカフェ」を会場に行われました。午後1時から5時まで、10組15名の皆さんが交代で演奏したのですが、聞きに来てくれた皆さんも含めると20名以上の皆さんに参加いただいたことになります。

新潟SPの特徴として、多くのメンバーが地元で音楽イベントを主催したり、いろんなライブ会場で演奏しているということがあります。そのため、練習会というよりも相互の情報交換と親睦を図ることによって、より活発な音楽イベントを作り上げるための機会と捉えたほうが良いかも知れません。

それだけに、世話役であるイナさんとKazmin'.comさんの力量が問われることになるのですが、音楽の実力、人柄共に皆さんが納得できる素晴らしい世話役です。これから新潟SPに行ってみようと考えている皆さんも、安心してご参加いただけます。

また、会場のピッタゴカフェは隣で「かのや」という割烹も経営しており、2階には広い宴会場もありますので、納涼会や忘年会を開くこともできます。また、弥彦村には徒歩で移動できる範囲に1051席の大ホールを持つ「弥彦総合文化会館」があり、地元の温泉旅館と組み合わせると、いろんな可能性が広がるような気がしました。

まずは、音楽仲間が安心して集える楽しいSPとして、無理なく着実に歩みを進めていければいいですね!
世話役のイナさん、Kazmin'.comさん、そして新潟SPに参集いただいた皆さん、ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。


●2008/05/21 Wed 愛知と静岡のSPイベントに行ってきました

5月の17日(土)と18日(日)を利用して、「愛知尾張SP」と「SP静岡」のイベントに参加してきました。

愛知では、小牧勤労センターを利用して宿泊を伴う交流会が行われ、16名(でしたっけ?)の皆さんが参加されました。
最初は大広間で順番に演奏を行ったのですが、本格的なPAや照明も用意され、会場で作ったたこ焼きをつまみ、ビールサーバーで生ビールを飲みながら17:00〜21:00まで楽しい時間を過ごしました。

その後、宿泊の部屋に場所を移動し、夜中の2時過ぎまでギターを弾いたり、ギター談義をしたりして交流を深めていたようです。(私は12時過ぎに部屋に戻って寝ましたが…)

朝は8時30頃に食堂に集まり、コーヒーを飲みながら昨夜の余韻に浸り、9時過ぎに解散というスケジュールでした。

愛知の皆さんは自分のスタイルを確立している方が多く、演奏するメンバー同士で聞くというのはもったいないような感じですね。
以前、近隣の住民の皆さんも聞きに来ていたイベントがありましたが、そんな地域住民と一緒になった場で、もっと多くの皆さんに聞いていたく機会を増やしていければいいなと思いました。


18日は9時過ぎに春日井駅まで車で送っていただき、JRで名古屋から静岡に向かいました。

静岡の交流会は、午前と午後で場所を変えて実施しているのですが、午前の部には間に合いませんでしたので、午後1時に静岡駅に迎えにきていただき、午後の部の会場である「自由茶屋」に移動しました。

最近メンバーになった皆さんも5名参加して、13〜14名の皆さんが集まっていたのでしょうか。メンバーになったばかりの皆さんにとっては、人前で演奏することからしばらく遠ざかっていたこともあり、緊張感が漂う雰囲気の中で演奏が進んでいきました。

自由茶屋のお母さんにお願いして、メンバーで費用を出し合って自力で簡単な照明が用意できると、もっと雰囲気が良くなると思うのですが、いかがですか?


今回が、新年度初めての地域SPの訪問になったのですが、名古屋と静岡という比較的近くのSPでも雰囲気は全く違うものがあります。(尾張と駿河ですから、歴史的にも違うのが当然かも知れませんが)

地域の独自性を生かしながら、SP相互の交流ができるようなイベントや仕組みをいかに作っていくか、それを考えていくのが事務局の役割ですので、今後とも全国のSPを訪問しながら、皆さんのご意見を伺っていきたいと願っています。

それにしても、やはり、実際に出かけて皆さんと同じ空間と時間を共有することに勝るものはありません。
全国の皆さん、機会があればぜひいろんなSPに出かけてみてください。


●2008/05/04 Sun 老後を死ぬまで生き抜くために!

後期高齢者医療制度というふざけた制度が話題になっていますね。75歳以上に医療費をかけさせないようにして、最期はいつまでも現世に未練を残さずに、潔くあの世に行けという趣旨の制度のようですが、寅さんじゃないですが「それを言っちゃ、共同体としての国家はおしまいよ!」という思いです。

恐らく、この制度の導入で高齢者の票を失う自民党は政権政党でなくなるのはほぼ間違いないでしょうが、民主党に政権が交代したところで、高齢者医療を支える税収不足という状況は何ら変りません。

今後、格差が広がることを前提にすると、儲かっている企業に対する課税強化、高所得者に対する累進税率のアップ、株式譲渡益課税の強化、相続税率のアップと課税最低額の低減処置などが考えられますが、金持ちが黙って社会のために税金を差し出すとは考えられず、海外に所得や財産を移すなど税金逃れのためにあらゆる対抗手段をとってくることは疑問の余地もありません。

さてこうなると、我々が老後を生き抜くためには、病気にならずにいつまでも元気にいるということしか手段はなさそうです。病気というのは長年のストレスや不摂生で身体のバランスを崩してしまうことが大きな原因になるということを聞きますので、対策は老人になる前から始めておく必要があります。

老後病気になったときに備えて、身体のバランスを崩すほど一生懸命働いて、安心して病気になれるだけのお金を稼ぐというのも一つの生き方ですが、仕事なんかは適当にこなしておいて、自分の好きなギターを弾いて精神的なストレスを溜めないようにし、なるべく長く病気にならないようにするというのも、老後を生き抜くための大切な自己防衛策のように思います。

戦後から現在まで、病気になっても社会が支えてくれると思えたからこそ、身体を壊すほど一生懸命働いて「勤勉な日本人」という評価を得てきたのですが、真面目に働くのは数億円以上の資産を残せる可能性がある一部の皆さんと若者に任せておきましょう。そして、少ない年金を頼りに生きていかざるを得ない我々は、病気にならないための生き方というものを真剣に考えざるを得ない時代がやってきたように思います。

皆さんも、そういう予感は何年も前から持っていたとは思うのですが、こんなにも早く世の中が変るとは意外な気がしています。病気になってからでは手遅れです!準備を急ぎましょう!


●2008/05/03 Sat 「戦うオヤジの応援団」の基本理念に立ち返って

2001年に「戦うオヤジの応援団」という名前を考えた頃、青少年の犯罪や自殺の増加がマスコミでクローズアップされていました。その時、“大人が社会の矛盾について怒り、戦うことをしない社会では、そのひずみは感受性の強い子供たちに押し寄せてくるのではないか”と思い、第1回目のストリートライブでそんなことをお話した記憶があります。

それから7年経過した現在、社会の状況は果たして良くなっているのでしょうか。
政治は混迷し、格差は広がり、自殺者数は増え続け、弱者を守るための社会保障制度は崩壊寸前の状態です。そして、そんな状況下、オヤジたちは家族を守るために懸命に働き続けるしかなく、社会的な矛盾は自分にはどうしようもないこととして、黙って耐え続けているように見えます。

終身雇用という慣習がなくなり、いつリストラされるかも知れないという環境では、守るべき家族がある40歳代までは、そのような状態でも仕方ないことなのかも知れません。

そんな中、藤村直樹さん(60)が「老人は国会突入を目指す」というCDを出されました。医療保険が年金よりも高くなって生活ができなくなった老人たちのデモ隊が、国防軍に射殺されながらも、若い頃に果たせなかった国会突入を果たすというSF的な内容なのですが、現代社会では、社会を変える力は老人にしか残っていないのではないかと、本気で思ってしまいます。

<戦うオヤジの応援団とは>というところで、“「戦うオヤジの応援団」ではギターや唄を使った“音楽”という手段を通じて自分自身を表現することにより、心の奥底に隠されたエネルギーを再確認し、仲間と共に新たな自分自身の人生を切り開くことを目的としています。”と書いているのですが、私たちはどういう人生を切り開こうとしているのか、一度じっくり考えてみる必要がありそうですね。


2008/04/04 Fri 皆さんに考えてもらいたいこと  

各地のSP活動が盛んになってきました。とてもいいことなのですが、少し心配事が…。

まず、SPの活動が盛んになるほど、他の地域の応援団の皆さんとの交流が少なくなりそうなこと。
もちろん、これまでもそんなに実際の交流をしていたわけではないのですが、掲示板などでお互いに繋がっているという感覚はもっと強かったように思うのです。構造的な工夫が必要な時期になってきたようにも思いますので、皆さんのお考えを応援団総合掲示板にお寄せください。

それと、SPは場所(Space)なのですが、時々「SPのメンバー」という表現が見られるようになりました。
仲間としての絆が深まるほど所属意識が高まるというのはごく自然なことであり、現段階ではマイナス要素というわけではないのですが、その方向性が強くなると、所属意識の強い皆さんの傾向がそのSPの個性になってしまいがちです。そして、個性が強くなると「閉ざされたサークル」へと変質していくのが、多くの組織が持つ自然な方向でもあります。

誰でも参加できる「場所」としてのSP、リーダーでない「世話役」という立場、そして、そんな世話役に協力する参加メンバーの皆さんの役割、というようなものを時々意識していただければと思っています。

事務局としても、今後は各地のSPがより自由で多様な活動をするための環境を作り、SP相互のネットワークを強化することが主な役割になるだろうと考えています。戦うオヤジの応援団も、次のステージに入っている感じですね。


●2008/03/20 Thu 少し寂しい感じですが…

最近、古くからいる首都圏のメンバーで応援団を去る方が時々います。
応援団が柏だけでやっている頃は、演奏技術の向上を目指すレベルの高い方の比率が高かったように思いますし、結構真剣に練習に取り組んでいました。

そんな初期に応援団に入った皆さんでその後も音楽活動を継続している皆さんの場合、演奏技術が向上し、ライブハウスなどで演奏させてもらえる機会が増えることによって、自分たちの目指す音楽の方向性が明確になってきているようです。

そんな皆さんにとって、雑多なジャンルと異なるレベルの皆さんで構成され、簡単に理解できないような個性豊かなメンバー同士が共存しようとしている応援団のような組織では、物足りなくなると同時に、面倒な人間関係に煩わされずに音楽だけを追求したいという気持ちになるのもよく理解できます。

戦うオヤジの応援団は、応援が必要な皆さんのためにありますので、自立して純粋に音楽活動だけに専念したいという皆さんについては、自分の力で可能性を開いていただければ良いわけですから、応援団に所属している必要がなくなったということだと考えるようにしています。

地方と違って、首都圏は人口が多いですから、ある程度のレベルになると演奏できる場所はいくらでもあります。「自分たちが楽しむ」ために音楽活動を行っている場合、そういう機会を得ることで応援団を離れて行っても仕方ないことかもしれません。

応援団としては、そういうレベルの高い皆さんで「応援団の活動を通じて、より多くの皆さんに楽しんでもらおう」という、NPO法人としての基本理念を理解いただいている方に残っていただき、いろんな企画を実施するために力を貸していただければと願っています。

会として活動目的を持っている以上、全ての皆さんに満足してもらえるような組織になることが不可能なことは当然のことです。そして、会を離れる人がいるということは、見方を変えれば会としての個性が徐々に出来てきているということですので、プラスに考えるべきなのかも知れません。

「去る者は追わず、来る者は拒まず」それが、変化を続ける応援団の基本姿勢なのですが、個人的には、やはり寂しい感じを否定することはできません。


●2008/02/25 Mon 本日、在籍登録メンバー数が1000人になりました

戦うオヤジの応援団は、2002年10月18日から登録制にしたのですが、本日、在籍登録メンバーの皆さんの数が1000名となりました。応援団自体は2001年10月から始まっており、登録制は掲示板への無意味な書き込みを防ぐために、住所などのIDをお知らせいただける皆さんにパスワードを発行するために導入したものですので、6年4ヵ月で、応援団と縁のあった皆さんが1000名を越えたという感じでしょうか。

実際には、退会した方もおられますので登録総数は1020人を越えますし、登録はしていてもメールアドレスを変更して連絡がつかない皆さんが100名前後存在します。また、年賀状を送っても転居先不明で返ってくる皆さんも50名以上おられます。

そういう意味では、登録メンバーの数にどのような意味があるのかはよく分かりませんが、一度はギターに興味を持って応援団の仲間になろうと思ったオヤジたちが、これまで1000名以上いたという事実は厳粛に受け止め、改めて責任ある運営を心がけて行きたいと思っています。

これからも、よろしくお願いいたします。


2008/02/08 Fri SPでのイベント形態の考え方

各地のSPで練習会や交流会が盛んになってきました。今後もいろんな形で発展していくと思いますが、そのようなSPでのイベントを企画する際の基本的な考え方を整理しておきたいと思います。

練習会
メンバーの皆さんは演奏するジャンルもプレイスタイルも異なりますので、練習会といっても一緒に同じ曲を練習するというような形態はとっていません。この場では、応援団に登録しているメンバー同士が実際に会ってコミュニケーションを図ると同時に、独りで自宅でギターを弾いている時には味わえない緊張感を体験し、その楽しさを実感する(思い出す)ことを主目的で行っています。

そのために、ステージでマイクを使って演奏しており、参加者全員が演奏できるように、通常は1回2曲程度で交代し、参加者の人数が少ない場合は2回〜3回順番が回ってくることもあります。
 
発表会
音楽表現の楽しさがわかってくると、皆さんに聞いてもらうための演奏をしたくなってきます。発表会は、ステージでまとまった時間(20分〜30分)を与えられた場合に、どんな曲を選び、どんな話をすれば聞いてもらえるのか、そんなライブの演出に必要な経験を積む場だと考えてください。

毎回同じ練習会だと、どうしてもマンネリ化しがちですので、会としての緊張感を維持するためにも、年に何回かは発表会形式で行うと良いと思います。練習会の延長ですので、観客はメンバーもしくはメンバーの家族や友人の範囲に止めておき、初心者でも安心して失敗できる環境で行いましょう。
 
ライブ
ここでライブという場合、メンバーだけでなく一般の皆さんにも聞いてもらう音楽イベントを指していますので、イベントとして成り立つだけの集客手段があるのかどうかがポイントになります。

多くのSPは地域のライブハウス(演奏設備のある飲食店)を使っていますが、そのお店を使わせてもらう場合には営業時間中にお店を借りて行うことになります。お店を借りるためには、通常は料金が発生しますので、その料金を捻出するために有料で行うことになります。飲食代だけでも良い場合もありますが、十分な集客ができない場合は出演者が負担することも覚悟しておくことが大切です。

有料で行うとなると、プロのライブ同様に観客に満足していただくという責任が発生しますので、一定レベル以上の演奏技術や歌唱力を持っているメンバーを出演対象にしたほうが良いでしょう。また、そのお店が普段からいろんな音楽イベントを行っている場合、通常は集客手段をもっていますので、お店主催のイベントに協力してメンバーの皆さんが出演するという形態のほうが良いかもしれません。
 
定期的に柏で行っているストリートライブ(大阪でも始まりましたが)のような無料イベントの場合、道行く買い物客に強制的に聞いてもらうことになりますので集客の心配はありませんが、立ち止まって聞いてもらえるような楽しさを演出する必要があります。反面、買い物客に聞いてもらえるのは短時間ですので、演奏は下手であっても声の大きさや迫力でカバーできる(笑)という利点もあります。
 
SP主催のその他のイベント
メンバー同士の親交を深めるためには、単に演奏を聞くだけでなく、いろんな話が出来る時間を持つことも重要です。

納涼会や忘年会などのイベントを行ったり、普段練習会などを行っているお店だけでなく、野外でバーべキューを行ったり、温泉で合宿を行うというように、環境を変えてコミュニケーションを促進することも楽しいものです。

このようなイベントの場合、短時間だとわざわざ遠くから参加してもらうことは難しいのですが、徹夜で行ったり、宿泊が伴うような形で実施できれば、各地の皆さん同士の交流も図りやすいかも知れません。
 
地域の団体との共催イベント
我々アマチュアがイベントを行う場合、プロと違って観客に満足してもらえるだけの知名度も演奏技術も持っていませんので、単独で音楽イベントを行っても集客は難しいものです。

そこで、地元の商工会の町おこしイベントや福祉系団体のイベントのように、別の目的を持っている団体に協力し、音楽を通じてイベントを盛り上げる役割を担うことで、より多くの皆さんに演奏を聞いてもらう機会が生まれます。

NPO法人化したことによって、団体としての社会的信用力はありますので、SPの運営体制が整った地域から、そのような団体に向けて私たちの活動について積極的に紹介することを実施していくことを始めたいと思っています。

  
現在は、各地にSPが増えることによって仲間と一緒に音楽を「演奏する」楽しみを実感している段階かと思いますが、次の段階では、そんな音楽をより多くの皆さんに「聞いて」もらい、音楽で「感動して」もらうという楽しみの実現を目指して、ギターの練習を積むと共に各地の団体への働きかけも考えておいてもらえればと願っています。


●2008/02/05 Tue 地域の音楽情報をぜひお寄せください

メンバーの皆さんにお送りしているメールマガジンでも書かせていただきましたが、戦うオヤジの応援団の登録メンバーは1000人になろうとしており、地域にも多くのSPが誕生しているのですが、まだSPがない地域の皆さんにとっては、とても寂しい空間のように思えてなりません。やはり、アコースティックギターローカルネットワークである以上、以下の情報を充実させることが急務だと考えています。


@ 地域でギターが弾けるお店の情報
東京には何軒もフォーク酒場と言われる飲み屋さんがありますが、地方にも次第に出来ていると聞いています。そんな、メンバーの皆さんと出会える可能性のあるお店(演奏のできるライブハウスでも結構です)をご紹介ください。東京の「落陽」や「風街ろまん」なども改めてご紹介したいと思いますので、常連の皆さん、よろしくお願いします。
 
A 地域で既に活動しているサークル、同好会の情報
応援団のメンバーの中には、既に地域に根付いた音楽活動をやられている皆さんがたくさんおられます。メンバー一覧にリンクしている皆さんのホームページを見ればわかるようにはなっているのですが、実際には探すのが大変ですので、地域の情報として整理して掲載したいと思っています。戦うオヤジの応援団と地域の既存サークルはそれぞれ独立したものですので、同じ立場の仲間としてネットワーク作りをめざすものです。ぜひ、各地のサークルの独自性と個性をご紹介いただければと思います。
 
B 地域で予定されている音楽イベントの情報
サークルの皆さんのライブや、プロのコンサート情報、ギターが弾ける店の感想などを掲示板でご紹介ください。地域で盛り上がるためによろしくお願いいたします。


@とAは各地方のメンバー一覧の最初に掲載しますので、お店とサークルに紹介してもいいという了承を得た上で、150〜200字程度の紹介文とホームページアドレス(あれば)をメールで応援団事務局にお送りください。 ※見本(北陸・近畿)http://tatakauoyaji.com/list/08hokuriku_kinki.htm

Bについては、「全国各地のアコースティック音楽情報掲示板」に随時書き込んでください。
http://tatakauoyaji.com/jouhou.html

地域の音楽情報は、その地域で生活する皆さんのご協力があって、初めて発信が可能なものですので、ぜひともご協力をよろしくお願いいたします。


●2008/01/27 Sun 何十万円以上もするギターを持つことは「贅沢」か?!

「贅沢」という意味は、必要以上に金や物を使うことで、分を過ぎたおごりなのだそうです。
さて、皆さんにとってギターに何十万円以上もかけることは贅沢なのでしょうか。

確かに、食事のように食べると無くなるものや、洋服や車のように使うほどその価値が減っていくものにお金をかけることは贅沢なことです。一方でギターの場合、70万円で憧れのD-45を買って数年弾いた頃、どうしてもお金が必要になって60万円で委託販売をしたとすると手数料が9万円〜12万円かかりますので、手にできる金額は51万円〜48万円となります。

つまり、D-45を持っていた期間に使ったお金は19万円〜22万円ということになりますので、5年間持っていたとすると1年間に使ったお金は38,000円〜44,000円、10年持っていると年間19,000円〜22,000円という計算になります。皆さんにとって、1年間にこの程度のお金を使うことは贅沢なことでしょうか?

ましてや、100万円以上する希少なヴィンテージギターの場合、販売価格は下がる可能性よりも上がる可能性が高くなります。貯金をすることを贅沢だと言う方はいないかと思いますが、ある意味、希少なギターを持つことは貯金と同じか、それ以上の投資効果がありますので、決して贅沢なことだとは言えないと思うのです。その上、現金をいくらもっていても使わない限り楽しむことはできませんが、ギターだと持っている間に好きな音を楽しむことができ、精神的に豊かな生活が送れます。

もちろん、子供の進学や結婚式などでどうしてもお金が必要な時に高価なギターをローン(借金)で買ってしまうのは分を過ぎた贅沢なのですが、差し迫った用途がない場合には、現金の代わりにギターという現物で貯金しておくという発想は間違っていないはずです。

ちなみに、我が家の女房はギターは投資だと割り切って考えていますので、私が「売って現金にしたい」と言っても、「現金にしたら使ってなくなるからダメ!」と反対します。

ということで、欲しいギターがあったときに奥さんを説得するための一つの方法としてご紹介しました。
ただし、現金と違って一本のギターを部分的に少しだけ売って何かを買うということはできませんので、そのことを認識した上で、奥さんの機嫌のいいときにお使いください(笑)。


●2008/01/22 Tue 改めまして、自己紹介です

今更なのですが、戦うオヤジの応援団の運営を担当している事務局の山下が何者なのかを書いたことがないものですから、改めて自己紹介をさせていただきます。

山下は、1954年生まれのフツー(?)のサラリーマンです。現在働いている会社は事務所から徒歩5分程度のところにあり、そこで研修の手配業務のようなことをやっています。応援団の活動を始めた頃は、皆さんと同様に9時から6時まで会社の指示に従っていろんな業務を行っていたのですが、4年くらい前に応援団のような組織が社会に存在することの意義を考え始めてからは、応援団の事務作業に時間が割けるように、自己裁量で勤務時間が調整できる業務だけを行なう、業務受託のような勤務形態に変更してもらいました。

そうなると、以前のように普通の給料はもらえないものの、基本的に午後1時になると退社し、こうして事務所で応援団の業務を行える時間を確保できるようになりました。もっとも、会社での私の担当業務をミスなく責任を持って行い続けることがクビにならない条件ですので、勤務形態を変更してから有給休暇は一日もとっていませんし、会社にいる時間内は、ほとんど会話をすることもなく、ただひたすら集中して業務処理だけを行っています。もちろん、1時までに業務が終了しないようなときは、終るまで会社にいるか、一旦応援団の事務所に行ってやるべきことをやってから会社に戻るというようなことは行っています。

勤務時間が短くなったといっても、集中的に無駄なく仕事をすることで、以前のフルタイムだったときと比較して業務量が減ったわけでもありません。会社にとっても、これまでのように私に何でも頼めるという状況ではなくなったものの、以前よりも何割も安い給料で雇用できて経営効率は高まっているはずです。今後、中高年に労働力を期待するのであれば、私が行っているような勤務形態をもっと積極的に認めるようにしたほうがいいのではないでしょうか。

私自身は、特に仕事をするのが嫌いというようなタイプではありませんので、現在の会社の業務が私の生き方に合っていればもっと仕事に打ち込んでいたかも知れません。そうなると、ギターを再開することもなかったでしょうし、戦うオヤジの応援団は誕生していなかったと思います。

そんな状況ですので、収入面では「豊か」というにはほど遠い状態なのですが、幸いにも子供がおらず、女房と二人で働いて暮らしていますので、節約すれば何とか家のローンを支払いながら生きていけます。家は駅に近いので以前に乗っていた車(BMW)は売り払い、税金を始めとした諸経費は必要ありませんし、ガソリン価格の高騰にも無縁です。携帯電話は持ったこともなく、女房も私もファッションには興味がないものですから、洋服はユニクロか近くのスーパーでしか買いません。また、食べることにも無頓着ですので、二人で外食することは年に1回か2回しかありません。

といいながら、女房も私も、好きなことには節約したお金と時間を躊躇せずに使ってしまいます。女房はハワイアン(歌と踊りがメインで時々ウクレレ)をやっていますが、一昨年はハワイの合宿で2週間以上も家を空けましたし、フラのショーがあるたびに衣装代が結構かかっているようです。私も、好きな音色の楽器があれば、家計が破綻しない限り、多少高額であっても現金で買ってしまいます(楽器購入にローンは絶対使いません)。

ということで、戦うオヤジの応援団はちょっと変った価値観を持ったフツーの中年オヤジが運営を担当し、皆さんの善意のおかげで何とか継続できている団体であり、金持ちのオヤジが道楽で行っているものではありません。残念ながら、まだ応援団からは給与をもらったことはないのですが、せっかくNPO法人化したのですから、これから何年か後には、私だけでなく、各地で運営にかかわっている皆さんが生活を維持するのに最低限必要な給与程度は、応援団が行う事業で稼ぎ出せるような収益構造を作っていきたいと願っているところです。


2008/01/18 Fri  楽しい老後を目指して!

南こうせつさんが、「団塊力を磨く」という本の中で、このようなことを言ってました。
「人生は遊ぶためにある。60歳になったら、あと20回程度しか桜の花が咲く季節を迎えられないかもしれないのだから、心から楽しめることだけに集中して努力すべき」「ギターを持って、松尾芭蕉のように全国を演奏の旅に出てみたい」

私たちが今、全国に戦うオヤジの応援団のSPを作り、練習会でギターの表現力を高めるための努力をしている本当の目的は、南こうせつさんが言っているような、充実した老後の人生を実現させるためなのだということを再認識しておきたいと思います。

私は今年54歳、応援団メンバーの平均は50歳前という皆さんなのですが、老後に音楽という手段で楽しむということを前提としたとき、60歳になって始めたのでは遅いと思います。まだ身体の衰えに悩むことも少なく、頭の柔軟性を保っている時期にギターを再開しないと、「老い」を感じ始めると自分の生活パターンを変化させることが怖くなってしまうでしょうし、音楽表現のための感性回復にも今以上に時間がかかるのではないでしょうか。そのためにも、まだ仕事が忙しい40歳代か50歳代の頃から、意識して時間を作って練習会などに参加しておくことが大切なのだと思います。

SPが全国各地に何箇所もあって、ギターを持って旅をすることで、その地域の仲間と一緒に語って音楽を演奏することができる。また、その頃にはSPを中心として地域の団体との交流も始まっているはずですので、自分自身の演奏技術と表現力を高めることができれば、そんな団体が主催するイベントで演奏することで交通費程度の謝礼が出るかもしれませんし、自分のCDがあればイベント会場で何枚かは買ってもらえるかもしれません。

そうして、夏は北国、冬は南国へと旅を続けながら、全国の仲間から生きるパワーをもらう…。応援団を継続することによって、そんな自立した老後が夢ではないと信じています。

皆さん、そんな人生を実現するために、理想を追ってがんばりましょうね!


●2008/01/03 Thu 明けましておめでとうございます

皆さん、明けましておめでとうございます。

今年のお正月は太平洋側では穏やかな天候なのですが、日本海側では年末から雪が降り続いているようです。皆さんの地域ではいかがですか。

今年は、メンバーのいまいずみひろみさんに左のデザインのイラストを描いていただき、年賀状として登録メンバー全員にお送りしました。届いていない皆さんは、喪中のハガキをもらった方を除き、住所変更のお知らせをいただいていない皆さんですので、事務局にメールでお知らせいただきますよう、お願いいたします。


さて、皆さんは、ギターだけ又はギターを伴奏に歌を唄うとき、誰のために演奏しているのか意識されていますか?
私がよく唄う岡林氏の曲の場合、「君に捧げるラブソング」や「自由への長い旅」は亡き東田のために、「私たちの望むものは」は応援団のメンバーの皆さんを想って演奏しています。そして、「チューリップのアップリケ」や「お父帰れや」などは社会的弱者を生み出す現代社会への怒りを込めて唄っています。

「フォークはオリジナルでないと…」という意見を持っている皆さんも多いのですが、個人としての心の動きを表現するという意味では、他人の言葉やメロディーを借りるよりも自分自身の言葉とメロディーで表現したほうが本来の目的に適っていることだと思います。

しかし、自己満足でなく、他の人に聞いてもらっても不愉快に思われないような作詞や作曲ができるという能力に恵まれている方はそう多いわけではありませんので、これまでに社会に発表されてきた何千曲という作品の中から、自分の表現したい内容にふさわしい曲を探して演奏するというのが一般的なのでしょうね。

そういう点から考えると、メンバーの皆さんの中には作詞、あるいは作曲は得意であっても自分で演奏したり唄ったりすることは苦手という皆さんも結構おられるようですので、そんな皆さんの作品を紹介して、他のメンバーの皆さんに演奏してもらえるような仕組みを作ることも大切なことなのかも知れません。

具体的にどうすれば良いのかはこれからの課題ですが、新年にあたり、漠然と思いついたことを書かせていただきました。

今年も皆さんにとって楽しいことが実現できるような応援団のしくみを考え、可能なことから実行してまいりますので、ご支援・ご協力をよろしくお願いいたします。